日本物理学会誌
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実験技術
放射光メスバウアー時間領域干渉計法が明らかにする原子・分子のナノ–マイクロ秒ダイナミクス
齋藤 真器名山口 毅長尾 道弘
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2022 年 77 巻 10 号 p. 690-697

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抄録

凝縮系中における原子・分子の並進運動は,拡散係数などの物質輸送特性はもちろん,系の粘弾性特性や破壊力学特性など様々なマクロ物性や機能の微視的起源となっている.したがって,物質特性や機能を制御する上で,微視的な構造や運動を理解することは必要不可欠である.

一口に原子・分子スケールの運動といってもその微視的描像の理解は困難である.測定対象中の運動の特徴的時間(または振動数)スケールは,例えばNMRや誘電緩和分光法などにより比較的広い時間(振動数)領域で決定することができる.しかし,これらの方法では通常どのようなサイズ(空間スケール)の運動が起きているのか直接知ることは難しい.

一方,サブnm程度の波長をもつ電子・中性子・X線などを用いた散乱(回折)実験を行うことで測定対象中の微視的な構造情報を得ることができる.さらに,非弾性・準弾性散乱実験を行うことで,対象中の定常的な微視的ダイナミクスの観測が可能となる.

右図に既存の微視的ダイナミクス測定法がカバーする時間・空間領域を示す.この図中には従来法では観測できない領域(破線で囲まれていない領域)がある.この事実は,人類がいまだに身近にある物質中の運動の全貌,すなわち物質特性の微視的起源を知る実験的手段を有していないことを示している.

近年,放射光により生成された14 keVの単色メスバウアーガンマ線を用いて時間領域干渉計を構築することで,準弾性散乱実験が本格的に可能となってきた.通常の干渉計はビーム経路を空間的に2方向に分岐するが,時間領域干渉計はガンマ線の経路を時間–空間方向に分岐し,再度経路を重ねあわせてガンマ線の干渉パターンを観測するユニークな干渉計である.時間領域干渉計を散乱実験に組み込むことで,同一の散乱経路を異なった時間に通過したガンマ線の干渉パターンを得ることが可能となり,散乱試料中の微視的構造の時間変化を干渉パターンの変化として精密に観測することができる.

右図に示すように,時間領域干渉計を用いることで,原子・分子レベルの空間スケールに対応する波数q領域において,ナノ–マイクロ秒スケールの時間領域で準弾性散乱実験が可能となってきた.この時間・空間スケールでは,過冷却液体,ガラス,ソフトマターなど様々な系において原子・分子の運動が起こっているが,測定の困難さからその微視的描像はよく分かっていなかった.

これまで,時間領域干渉計により深く過冷却した液体,メソスケールの構造を有する高級アルコール,脂質膜などの様々な系において新しい微視的ダイナミクスの知見が得られ,それによる物質特性の微視的理解が可能となってきている.

さらに現在核モノクロ法とよばれるメスバウアーガンマ線を用いた新しい準弾性散乱測定法が開発されている.これらの新しい測定系と既存の測定系による相補的な研究によって,今後さらに広い時間・空間スケールにおけるダイナミクス測定が可能となり,様々なマクロ物性や機能の微視的起源が解明できると期待される.

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