日本物理学会誌
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解説
超強結合~深強結合領域における共振器量子電磁力学
設楽 智洋越野 和樹
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2023 年 78 巻 3 号 p. 125-134

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抄録

自由空間中の原子は連続的なエネルギー分布をもつ多数の光子モードと「広く浅く」結合している.この状況で原子を励起すると,そのエネルギーは原子から光子へと不可逆的に散逸する(自然放出).一方,共振器を用いて光子モードを離散化し,原子が単一の光子モードとのみ「狭く深く」結合している状況を作ると,原子と光子の間で可逆なエネルギーのキャッチボールが起こるようになる(真空ラビ振動).

共振器量子電磁力学(共振器QED)は,散逸が優勢な前者の状況(弱結合領域)を克服し,量子コヒーレンスが優勢となる後者の状況(強結合領域),すなわちクリーンな原子–光子結合系を構築する営みであると言える.調和振動子に例えると,摩擦が大きく過減衰を示す状況から,摩擦を抑えて可逆な振動が見えるようにするのと同じである.原子と標的光子モードとの結合(真空ラビ振動数の半分)をg,原子および共振器の散逸レートをそれぞれγ,κで表すと,弱結合領域はg≲γ,κ,強結合領域はg≳γ,κで特徴づけられる.

これまでの共振器QEDでは,強結合とは言っても結合gは原子や共振器モードの共鳴周波数ωa ,ωcより圧倒的に小さいのが常であった.ところが近年になり,超伝導回路など多様な物理系を用いて共振器QED系,つまり(人工)原子と調和振動子の結合系が作製されるようになり,結合gが共鳴周波数ωa ,ωcとコンパラブルになる状況が現れ始めた.慣例として,結合が共鳴周波数のおよそ1割を超える状況( g≳ωa /10, ωc /10)を超強結合領域,さらには共鳴周波数そのものを超える状況( g≳ωa , ωc)を深強結合領域と呼んでいる.

それでは,超~深強結合領域では何が起こるだろうか? 理論的には,原子と単一光子モードとの結合系は量子ラビ(Rabi)模型によって記述され,その相互作用項は「回転項」と「反回転項」から成っている.回転項は「原子が光子を吸収して励起される」「原子が光子を放出して脱励起する」過程を記述するのに対し,反回転項は「原子が光子を放出して励起される」「原子が光子を吸収して脱励起する」という,我々の直感に反する過程を記述する.弱~強結合領域では,反回転項の効果がほとんど無く,それを無視するジェインズ–カミングス(Jaynes–Cummings)模型によって諸現象が精度よく記述できる.超強結合領域に入ると反回転項の効果が徐々に現れ始め,深強結合領域ではもはや「原子の励起」「光子モードの励起」といった区別さえ曖昧になる.これはちょうど,2つの原子が強く結合して分子を作ると元々の原子からかけ離れた性質を示すのと似ている.

超~深強結合領域において,反回転項のもたらすミステリアスな諸現象を言葉で表現すると,「1個の光子を入射すると3個の光子になって返ってくる」「基底状態において原子と光子に量子もつれが生じ“シュレーディンガーの猫”状態になっている」「基底状態にもかかわらず共振器中に光子が存在する」「共振器中の光子数によって原子の“基底状態”と“励起状態”とが逆転する」といった具合である.深強結合領域は数年前にようやく実現されたばかりであり,上記の多彩な物理現象を実験で検証し,さらに量子情報処理に活用することが今後期待される.

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