초록
知訥の頓悟思想はこのように、六祖の頓悟を受け継ぐとともに、大慧の看話禪によって、六祖の定慧不二の思想内容を、さらに体験的に実証しているように見えます。したがって、「壇経」の頓悟思想によって自性の確信を得た知訥が、その後になって、「華厳経論」の学習を通して、深く「円頓の観門」という習禪に心を寄せたことは大慧的見性経験への準備としての重要な意味を持っていると思います。ここにわれわれは、改めて知訥に於ける「漸修」の意味を見なければならないでしょう。
키워드
知訥, 大慧, 頓悟, 漸修
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author={
니시무라 에신
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title={知訥 「頓悟漸修」についての私見},
journal={보조사상},
issn={1229-7968},
year={2011},
number={35},
pages={157-173},
doi={10.22859/bojoss.2011..35.003},
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TY - JOUR
AU - 니시무라 에신
TI - 知訥 「頓悟漸修」についての私見
T2 - 보조사상
PY - 2011
VL -
IS - 35
PB - 보조사상연구원
SP - 157-173
SN - 1229-7968
AB - 知訥の頓悟思想はこのように、六祖の頓悟を受け継ぐとともに、大慧の看話禪によって、六祖の定慧不二の思想内容を、さらに体験的に実証しているように見えます。したがって、「壇経」の頓悟思想によって自性の確信を得た知訥が、その後になって、「華厳経論」の学習を通して、深く「円頓の観門」という習禪に心を寄せたことは大慧的見性経験への準備としての重要な意味を持っていると思います。ここにわれわれは、改めて知訥に於ける「漸修」の意味を見なければならないでしょう。
KW - 知訥, 大慧, 頓悟, 漸修
DO - 10.22859/bojoss.2011..35.003
UR - http://dx.doi.org/10.22859/bojoss.2011..35.003
ER -
니시무라 에신 (2011). 知訥 「頓悟漸修」についての私見. 보조사상, 35, 157- 173.
니시무라 에신 . 2011, “知訥 「頓悟漸修」についての私見”, 보조사상, no. 35, pp. 157-173. Available from: doi:10.22859/bojoss.2011..35.003
니시무라 에신 “知訥 「頓悟漸修」についての私見” 보조사상 35 pp. 157-173 (2011): 157.
니시무라 에신 . 知訥 「頓悟漸修」についての私見 보조사상 [Internet]. 2011; 35: 157-173. Available from: doi:10.22859/bojoss.2011..35.003
니시무라 에신 . “知訥 「頓悟漸修」についての私見” 보조사상 no.35 (2011): 157-173. doi: 10.22859/bojoss.2011..35.003
知訥 「頓悟漸修」についての私見
보조사상
약어 : BOJO SASANG
2011, no.35, pp.157 - 173
DOI : 10.22859/bojoss.2011..35.003
발행기관 : 보조사상연구원
연구분야 : 종교학
Copyright © 보조사상연구원
1日本 花園大学
知訥の頓悟思想はこのように、六祖の頓悟を受け継ぐとともに、大慧の看話禪によって、六祖の定慧不二の思想内容を、さらに体験的に実証しているように見えます。したがって、「壇経」の頓悟思想によって自性の確信を得た知訥が、その後になって、「華厳経論」の学習を通して、深く「円頓の観門」という習禪に心を寄せたことは大慧的見性経験への準備としての重要な意味を持っていると思います。ここにわれわれは、改めて知訥に於ける「漸修」の意味を見なければならないでしょう。
知訥, 大慧, 頓悟, 漸修