高濃度の硫化水素は激烈な毒性を示すことが知られている.しかし即死的濃度(1500~2000ppm)以下の硫化水素に暴露された場合の生体反応については系統的な検討がほとんどされていない.本研究は行動変化を指標として本問題の解析を試みたものである.すなわち充分習熟したラットの条件回避反応に対する各種濃度の硫化水素の影響をしらべ,次のような結果を得た.弁別条件回避反応では最低200ppm暴露によって比較的速やかな有意の抑制が検出されたが,Sidman型条件回避反応の有意の抑制は約300ppm暴露時に観察された.変化の発現と行動基線における反応率の高低とは無関係であった.また本条件づけの消去過程に対して500ppm以上暴露の場合にのみ促進が観察された.300~500PPmの硫化水素暴露により,濃度にほぼ比例して速やか,かつ強度の両反応の抑制が生じ,強制換気1時間後には暴露前の反応値に回復したが,高濃度の場合にはしばしば反応の抑制が翌日まで残存する例が認められた.別のラットを用いほぼ同条件下で測定した血圧,呼吸および心拍数に対し,100~500ppmの硫化水素は暴露直後数分間一過性の乱れを生じたにすぎず,その後1時間は比較的安定していた.すなわち,これらの変化が生ずる濃度より低い硫化水素ですでに行動には変化が生ずることが確認された.つまり硫化水素による条件回避反応の抑制は中枢抑制効果に起因するのではないかと考えられた.